僕が甘口醤油屋の三代目になった理由【その1】
2016/05/03
こんにちは、鹿児島の甘口醤油味噌醸造蔵吉永醸造店3代目です!
三代目さんって、小さい頃から醤油屋になりたかったんですか?
と質問されることがあります。
確かに、実家が商売をしていて、そこの息子なら、将来は稼業を継ぐのかな?と思いますよね。
でも、実は、わたくし、小さい頃から醤油屋になろうと思っていたわけではないんです。
そんな私が、醤油屋の三代目になるまでのお話をさせていただこうと思います。
吉永醸造店は、昭和三年の創業なのですが、
三代目が幼い頃は、まだ木造建築バリバリの建物で、
店舗と自宅もつながっており、店舗の奥が、そのまま自宅になっているような感じでした。
朝ドラに出てくる昭和のはじめのお店のイメージですかね。
工場も、バリバリ木造で、夜中に入ってみると、子どもながらにお化けとかでてきそうで
とても怖かったのを覚えています。
そうそう、小さい頃は、親のいうことを聞かなかったり、悪いことをすると、
工場内の小さい部屋があるのですが、そこに閉じ込められるものでした。
これが、また本当に怖いんです!
聞いた話では、父である2代目も、小さい頃には閉じ込められていたそうです。
そんな感じで自宅と会社の境界も曖昧っだったので、小さい頃は、
工場に遊びに行ったり、仕事をしている父や職人さんと話したりしていたので、
実家の商売というものは、割りと身近に感じていたように思います。
小学生の頃くらいまでは、将来は、醤油屋になりたいと漠然と思っていました。
そんなこんなで、中学、高校となり、自分の進路を考える時期がやってきます。
この年代にありがちですが、
鹿児島で小さい頃から産まれ育った自分は、都会に対して強い憧れもあり、
東京の大学への進学を希望します。
その頃には、将来、稼業の商売を継ぐんだという思いは全く無くて、
2代目である父からも、そういった話は全く無かったですし、
東京で、そのまま就職するのもいいかなぁなんて思っていました。
醤油にかぎらず、醸造業の後継者は、醸造学科のある大学に進学することが多いのですが、
将来、稼業を継ぐことを考えていなかった自分は、
醸造とは全く関係ない大学の、しかも、会社経営と関係のある経営学部などではなく、
法学部に進学しました。
そして、東京での、刺激にあふれた生活が過ぎ、就職活動を考える時期に入ります。
そこで、はじめて将来について考え、ある思いが芽生えます。
今回は、この辺にして【その2】に続きます。
創業昭和三年
鹿児島甘口醤油麦味噌醸造蔵吉永醸造店
鹿児島市西田2-2-3
TEL099-254-2663
営業時間8時~18時30分
店休日 日祝、第1土曜日
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